人と向き合うのがしんどい、という話をします。
商売をやっていると、どこかでこれにぶつかります。値切られる。約束していない範囲まで求められる。こちらの言うことを聞かせようとしてくる。そういう相手が続くと、自分の性格のほうを疑いたくなります。接客に向いていないのかもしれない、人と関わるのが下手なのかもしれない、と。
でも僕は、そこはほとんど関係ないと思っています。関係の形は、会う前にもう決まっていることが多い。決めているのは性格でも相性でもなくて、こちらが何を掲げて人を集めたかです。
今日はその話を、順番に書いていきます。

1.しんどさを性格の問題にすると、直す場所を間違える
なぜこの区別にこだわるかというと、原因の置き場所を間違えると、直す作業が無駄になりやすいからです。
性格のせいだと思ったなら、次に手を出すのはたぶん接客の技術です。断り方を学ぶ、言い回しを柔らかくする、対応の型を覚える。悪いことではありません。ただ、それは同じ人が同じ理由で集まってくる状態はそのままにして、来たあとの捌き方だけを磨いている、ということでもあります。
蛇口を開けっぱなしにして床を拭いているようなもので、拭くのが上手くなるほど、拭き続けることになる。しんどさのほうは減りません。
だからまず、蛇口のほうを見たい。何を掲げたのか、というところです。
2.僕は一度、自分から関係の形を決めてしまったことがあります
独立して少し経った頃の話です。
尊敬したい人がいました。スピーチが上手くて、自信があって、外見もかっこいい。当時の僕にはずいぶん立派に見えたわけです。僕はWeb周りができたので、手伝いますよ、と自分から申し出ました。貢献という形で頑張りますので弟子にしてください、というノリですね。
結果から言うと、雑務を振られるだけで、何も教えてもらえませんでした。自分のお金まで使って貢献していました。最終的にぶち切れて聞いたんです。あなたはどうするつもりなんですか、何を教えてくれるんですか、と。

返ってきたのは、こういう言葉でした。
あなたはただ、私の言うこと聞いてりゃいいんですよ
この体験からは、外見やスピーチや自信は中身が伴っている証明にはならない、ということをよく学びました。それはそれで大きな学びでした。
ただ、いま同じ場面を思い出すと、別のところが気になります。
あの関係の形を決めたのは、実は僕のほうだったという点です。
僕は「貢献します」と言って入りました。つまり、相手が掲げているものの側に、自分から立った。その瞬間に、あの関係は要求と服従の形になっていたのだと思います。最初からそういう並び方をしていた、ということですね。
そう考えると、旗を掲げる側に回るのは怖いことだと思っています。集まってくる人は、こちらが立てた旗を見て、その下に並ぶ位置を自分で決めているわけですから。
3.旗は、掲げた瞬間に相手をふるいにかけている
たとえば、安くします、と書いたとします。早くやります、何でも応えます、と並べたとします。
これは一見、間口を広げているように見えます。実際に人は来ます。ただ、来た人がこちらを見る目は、そこに書いた言葉で決まっています。安さを旗にしたなら、その人はこちらを値段で測る。何でも応えると書いたなら、どこまで応えるかで測る。当たり前の話です。看板に書いてあるものさしで測られているだけなので。
そして、この種の旗は集めれば集めるほど苦しくなります。値段と要求で測る人ばかりが増えていくのだから、母数が増えるほどしんどさも増える。頑張るほど悪化する構造になっているんですね。
ここで「客の質が悪い」と言いたくなる。僕はこの言葉を、危険なサインだと思っています。質を決めているのは客ではないからです。
4.借り物の看板は、近づくほどボロが出る
もうひとつ、よくあるのが他人の旗を借りてくる形です。
誰かがそれで成功した理想像——好きな場所で暮らす、働かなくていい状態を作る、いくら稼ぐ——そういう型をそのまま自分の看板にする。うまくいっている人のものだから、まあ効くだろう、と。
たしかに人は来ます。でも、この形は近づくほどキツくなります。読者一人ひとりと話す距離になると、その看板が自分から出たものではないことが、こちらの言葉の端々に出てしまうからです。自分で選んでいない旗については、深いところを聞かれると答えられない。当然です、自分の中から出てきていないんだから。
遠くから見える範囲では持ちこたえて、近づくと崩れる。これが借り物の看板の壊れ方です。
5.自分の側から出た旗だと、話すことが消耗にならない
逆の場合の話もしておきます。
自分の中から出てきたものを掲げて、それを見て集まってきた相手とは、話すこと自体があまり消耗になりません。理由は単純で、その人はこちらに要求しに来たのではなくて、自分の意思でその旗のほうへ歩いてきているからです。だから会話が要求ではなく相談の形になる。
これは相手が良い人だからではありません。並び方が違うだけです。同じ人でも、値段で釣られて来たときと、掲げたものに反応して来たときでは、たぶん振る舞いが変わります。
僕が「不器用な人間でもうまくいった例になりたい」と思っているのも、結局はこの話に繋がっています。器用さで人を集めたら、器用さで測られる。そうすると、器用でいられなくなった日に全部終わるわけです。それは自分で自分の首を絞めている。
値段と要求で測られる。母数が増えるほどしんどさも増える。
相手は自分の意思で歩いてきている。会話が要求ではなく相談になる。
6.だから、直すのは接客ではありません
まとめると、というのはあまり好きな締め方ではないので、今日の話の結論だけ言います。
客対応がしんどいなら、直すのは我慢の量でも、断り方の技術でもない。旗を書き換えるほうです。
これは即効性のある処置ではありません。書き換えたところで、すでに来ている人が入れ替わるまでには時間がかかるはずです。ただ、原因の場所が分かっているのと分かっていないのとでは、その時間の意味がまるで違う。分かっていれば、それは入れ替わりを待っている時間だと思えます。分かっていなければ、性格を直す努力を延々と続けることになります。
で、何を掲げるのが正解なのか。それは僕には決められません。各自が自分の中から取り出すしかないもので、外から一律の答えを渡すと、それこそさっき話した借り物の看板になってしまいますから。
ひとつだけ言えるのは、掲げたものが自分のものであれば、間違えても直せるということです。集まってきた人の様子を見ていれば、旗が実態とズレているかどうかは、だいたい分かります。ズレていたら書き直す。僕にできるのは、そのくらいです。
僕もまだ書き直している最中です。一緒にやりましょう。


















