こんばんは、藍沢です。
発信を始めたいという人が最初に止まる場所は、わりと決まっているように見えます。ノウハウが足りないとか、道具が揃っていないとか、そういう話よりもっと手前です。
「自分は詳しくないのに、人に教えていいのか」
ここで止まる。
しかもやっかいなのは、真面目な人ほどこれを強く食らうように見えるところなんですよね。適当な人はそもそも気にしない。気にしないから、平気で始めてしまう。気にする人だけが動けなくなる。なんとも理不尽な話ですが、そう珍しくもない気がしています。
今日はそれについて書きます。ただ、答えを先に置くつもりはありません。僕自身この手の怖さには一度きれいに転んでいるので、その転び方も含めて書いたほうが、たぶん役に立つかなと。

1.「詳しくない」は、何と比べた判定なのか。
まず引っかかるのがここです。
「詳しくない」と言うとき、人は必ず何かと比べています。比較対象がなければ、詳しいも詳しくないも出てこない。ではあなたは今、誰と比べているのか。
たいていの場合、その分野の一番上と比べているはずです。何年もやっている人、本を出している人、その世界で名前が通っている人。頭に浮かぶのはそういう顔ぶれで、それと自分を並べて「無理だ」と判定している。
でも、あなたの話を読む人は、その一番上の人ではありません。
ここがけっこう大事なところで。読み手が探しているのは「この分野で日本一詳しい人の話」ではなくて、「今の自分の困りごとが片づく話」のほうだと思うんですよね。困っているのは今日で、欲しいのは今日使える答えです。誰が日本一かは、その人の生活にはたぶん関係がない。
つまり「詳しくないから教えられない」という文は、途中で主語がすり替わっている。教える資格の話をしているようでいて、中身はただの自己採点なんですよね。しかも採点の基準を、自分で一番厳しいところに置いている。
……まあ、その気持ちは分かるんですけど。
2.半歩前にいる人の言葉が、一番よく効く。
僕の意見を言うと、教える相手として一番相性がいいのは、自分の半歩後ろにいる人です。
十年先を歩いている人の言葉って、正しいんだけど遠いんですよ。遠すぎて、聞いた側は「すごいなあ」で終わってしまいがちです。すごいなあ、で終わった話は、たぶん行動には変わりません。
一方で、半歩前を歩いている人の言葉は生々しい。つまずいた石がまだそこにあるし、どこで転んだかも覚えている。「そこ、右足から入ると引っかかりますよ」と言えるのは、さっき引っかかった人だけです。十年前に通り過ぎた人は、その石のことをもう覚えていないと思うんです。
だから「まだ詳しくない」というのは、期限つきの持ち物みたいなものだと思っています。今しか持っていない。そのうちあなたも、初心者だったころの感覚を忘れていくはずです。忘れたころには「詳しい人」になっているかもしれませんが、そのときにはもう、今日書けたはずの話が書けなくなっている。
(これ、わりと惜しい話ではないでしょうか)
3.本当に怖いのは、たぶんそこじゃない。
とはいえ、本当に怖いのはここまでの理屈ではないはずです。
怖いのは、質問されて答えられない場面でしょう。詳しくないと自分で分かっている状態で人前に出て、そこを突かれて、ぐうの音も出ない。あの場面を想像するのが嫌で手が止まる。だいたいそういう話だと思います。
僕も、そこで一度きれいに転んでいます。
昔の僕は「知らない」と言うのが怖い人間でした。分からないと言えば信頼を失う気がして、だから知ったかぶりで誤魔化していた。
それがある夜、クライアントから難しい質問が来ました。

どうしても嘘がつけなかった。キーボードの上で迷って、それで「すみません、今の私には分かりません」と、文字で送りました。
送信ボタンを押したあとは、生きた心地がしませんでした。
返ってきたのは、こういう言葉でした。
「正直に言ってくれてありがとうございます。知ったかぶりされるより、ずっと信頼できます」
肩の力がすっと抜けたのを、今でも覚えています。専門家だからといって、全部を知っている必要はなかった。虚勢を張らず、等身大のままでよかったわけです。
4.信頼は、知識の量ではなく態度のほうに貼りついている。
あの夜以降、僕の中では前提がひとつ入れ替わっています。
信頼というのは、知識の量に対して払われているんじゃない。この人は分からないときに分からないと言う人かどうか、相手が見ているのはそっちだ、と。
考えてみれば当たり前の話で。知識の量で信頼を担保しようとすると、その人は永遠に「全部知っている」状態を演じ続けなければならなくなります。無理です。どんな専門家にも守れない約束を、始めたばかりの人が守れるわけがない。
ところが態度で担保するなら、初日から満たせるんですよね。今日から満たせる。……そう考えると「専門家になってから発信する」という順番は、そもそも到達点のない待ち方だということになります。いつまで待っても、その日は来ない。
だから僕は今でも、この言い方を使います。
「分かりません、でも必ず調べます」
これは謙遜でも保険でもありません。分からないところを分からないと確定させて、そのうえで誰が調べるのかをはっきりさせる。それだけの文です。地味ですけど、これを言う人は、相手の側から見ると計算しやすいはずなんです。この人が「分かります」と言うときは本当に分かっているんだな、と読めるからです。
逆に、知ったかぶりをする人の言葉はどうなるか。僕は、どこかで全部が割り引かれていくんだと思っています。どれが本当なのか判別できなければ、聞いた側は全部を疑うしかない。ごまかしって、実は相手にとってもけっこうな損なんです。自分を守っているつもりで、相手の判断材料を壊している。
5.で、明日どうするのか。
長くなりましたが、言いたいことは一つに畳めます。
教えていいかどうかを決めるのは、あなたの知識の量ではありません。分からないところを分からないまま人前に出せるかどうかです。
だから、発信を始めるのに用意しておくものがあるとすれば、それはノウハウの在庫ではなくて、さっきの一文だと思っています。それさえ言う準備ができていれば、あとは知っていることから書けばいい。知らないことは、恥ではありませんから。
僕は会社員をやめて独立して、今はこうしてコンテンツを作って発信する仕事をしていますが、それでも分からないことは山ほどあります。それでも書いています。全部分かってから始めた人なんて、たぶんどこにもいません。
ではでは、今日はこの辺にします。
……と書いたところで気づきましたが、この記事自体、僕がいまだに「分かりません」と言い続けている証拠みたいなものですね。まあ、それでいいのだと思います。


















