どうも。
ちょっと、こんな状況を想像してみてください。
AIに質問すると、欲しかった答えが3秒で返ってきます。必要な知識は揃っていて、説明も分かりやすい。いわば「100点の正解」です。
その横に、あなたが半日かけて書いた記事が並んでいます。扱っているテーマも、伝えているノウハウも、ほとんど同じです。
このとき、読者があなたの記事を読む理由は、どこにあるんですかね。
今日は、「答えの質では差がつかなくなったら」という仮定から、発信する人の価値を考えてみたいと思います。
「もっと詳しく書こう」
「初心者にも分かるように説明しよう」
「具体例や図解を増やそう」
どれも、記事をよくするための工夫です。
でも、それをAIでもできるようになったら、次は何を増やせばいいんでしょう。
ここを考えずに記事の量だけ増やしていると、一生懸命書いているのに、自分から読んでもらう理由だけが増えていかないんですよね。
①名前を消しても同じ記事なら、読者は誰を選ぶんですか?
自分が最近書いた記事を、一つ思い浮かべてみてください。

その記事から、名前とプロフィールを消します。別の発信者の名前に差し替えても、内容にほとんど違和感がなかったらどうですか。
知識は正しい。説明も丁寧です。でも、誰が書いても成立してしまいます。
こういう記事には、調べものへの答えとしての価値があります。困ったときに読んで、問題が解決するなら、それはちゃんと役に立っています。
ただ、そこで用事が済むことと、次もあなたから読みたくなることは、別なんですよね。
「答えが分かった」は残っても、「この人の考えをまた聞きたい」まで残るとは限りません。
まして、同じ答えをAIから得られる読者に対して、「こちらのほうが頑張って調べました」は、選ぶ理由になりません。調べた側の苦労と、読む側が受け取るものは同じではないからです。
厳しいですが、AIが同じ答えを出した途端に選ぶ理由がなくなるなら、その発信は、情報を届ける機能だけで評価されていたということです。
そこで、さらに情報量を増やして競い続けるのか。
それとも、記事の中に残していなかったものを見直すのか。
僕は、後者を考えたほうがいいと思っています。
でも、「自分にしか書けない知識なんてない」という人もいますよね。
そもそも、違いを出すために、誰も知らない知識が必要なんですかね。
②同じノウハウを知っているのに、なぜ勧めることが違うんですか?
例えば、SNSで発信を続ける方法を教える場面を考えてみてください。ここからは、説明のための仮の例です。

予約投稿を使う。週末にまとめて作る。反応のあったテーマを続ける。過去の投稿を見直す。
使える方法は、いろいろあります。
ただ、本業が終わったあとに疲れた体で投稿を作り、「今日も出せなかった」と落ち込んでいる人に、最初に何を勧めるか。
ここは、知識を並べただけでは決まらないんですよね。
投稿の機会を増やすことを優先するなら、短くても毎日出す方法を考えます。
本業や睡眠を守りながら続けることを優先するなら、投稿の約束そのものを減らす案も出てきます。
どちらも、同じノウハウを知ったうえで選べる方法です。それでも、何を大事にするかによって、勧める順番が変わります。
その違いは、大げさな人生哲学だけに出るものでもありません。
僕は、読者のことを「リスト」と呼ぶのが、少し苦手です。業界では通じるし、便利な言葉なのも分かります。
でも、人間なのに、人間じゃないものとして扱っている感じがして、僕自身がそう呼ばれたら嫌なんですよね。だから、できるだけ「読者」と呼びたいと思っています。
うっかり使ってしまうことはあるかもしれません。それでも、どちらを使いたいかは決まっています。
これは、専門用語を知っているかどうかの話ではありません。知ったうえで、何を選ぶかの話です。
発信者の思想って、立派な言葉より、こういう小さな選び方に出るんです。
何を勧めるのか。何は、便利でも採用したくないのか。その理由は何なのか。
ここに、同じ知識を持つ人同士でも違いが生まれます。
ただ、それを聞いて「あなたの好みは分かったけど、それが自分に何の関係があるの?」と思う読者もいますよね。
ここを飛ばすと、思想のある発信を目指したつもりが、ただの自分語りになってしまいます。
③でも、あなたの「好き嫌い」に、お金を払う人はいるんですか?
好き嫌いを書くだけでは、お金を払う理由にはなりません。

「僕は毎日投稿が嫌いです」と書かれても、読者は「そうなんですね」で終わってしまいます。
読む人が知りたいのは、自分がこれからどうすればいいのかです。
先ほどの例なら、こんな提案まで具体的にしてみます。
本業があって時間が限られる人に、最初から毎日新しい投稿を作る方法は勧めません。まず週末に一つ、自分が何を手伝えるのか分かる記事を作ってください。平日は、その記事の要点を短い投稿に分けて使います。毎回ゼロから考える負担を減らしながら、何をしている人か伝わる状態を先に整えたいからです。
ここまで書くと、単なる好みではなくなります。
どんな人を想定しているのか。何の負担を減らしたいのか。そのために、何から始めるのかが分かります。
もちろん、新しい投稿を減らせば、試せる話題や、見つけてもらう機会が減ることもあります。だから、記事を作って終わりにせず、要点を分けて届けたり、関連する既存記事から案内したりする工夫も必要です。
「無理をしない」と「読者に見つけてもらう」を、両方考えるわけです。
自分の美意識を守るために、読者の成果を放り出していいわけではありません。何を優先し、その代わりに生じる不都合をどう補うか。そこまで考えて、提案にします。
すると、読者は判断できます。
「この人は、毎日書けない自分に気合いを求めるのではなく、続け方から考えてくれるんだな」
この見通しがあるから、続きを読みたいと思えるし、さらに詳しい支援を頼む候補にもなるんです。
対価を払うかどうかは、困りごとの深さや、提案の中身、価格によっても変わります。ただ、知識が多いことだけでは見えなかった「この人を選ぶ理由」が、ここで具体的になります。
偏愛があるなら、人が見過ごす細かい困りごとまで気にしてしまいます。美意識があるなら、成果のためでも採らない方法があります。独自の解釈があるなら、同じ失敗からでも、別の改善案を考えます。
その違いを、読者が使える判断にまで変えること。僕は、ここに発信者の哲学、つまりMSPの意味があると思っています。
知識の網羅性で比較され続ける発信から、「この人の判断を頼りにしたい」と思われる発信へ変えていくんです。
でも、ここまで読んだ人なら、次の疑問も出てきますよね。
「その思想っぽい文章だって、AIに書かせられるんじゃないの?」
④その「思想」までAIが書けるなら、やっぱり人間はいらないんですか?
文章だけなら、書けます。

「読者を大切にする独自の哲学を入れてください」と頼めば、もっともらしい主張を作ることもできます。
だから、語尾を人間らしくしたり、最後に「僕はこう思います」を足したりするだけでは、違いを保てません。
読者が確かめたいのは、その言葉が、実際の選び方にも表れているかです。
例えば、「本業を壊さずに続けましょう」と書いていた人が、商品を売る段階になった途端、「毎日投稿できない人は覚悟が足りません」と言い始めたら、どう感じますか。
売るものに合わせて主張を変えているように見えますよね。
反対に、本業が忙しい人へ勧める順番も、商品の提供方法も、購入前の説明も、同じ考えで決められていたら、その人が大事にしていることを確かめられます。
もちろん、考えが変わることはあります。そのときも、何を知って、なぜ変えたのかを説明すればいいんです。
思想を持つことは、同じ意見を一生言い続けることではありません。自分が何を理由に選んだのかを、その都度説明できることです。
AIは、そこで使えます。
考えへの反論を出してもらう。見落としている不都合を探してもらう。説明を分かりやすく整えてもらう。
ただ、最後に何を勧めるかまで、出てきた文章の都合で決めてしまわないことです。
「この結論は僕も納得しているのか」
「この条件の人にも勧められるのか」
「売れそうだから、都合の悪い説明を消していないか」
ここは、書き手が確認する必要があります。
AIに手伝ってもらっていても、自分の判断を説明できる記事にはなります。
では、その判断を、どこから見つければいいんですかね。自分には哲学と呼べるものがない、と感じる人もいると思います。
⑤「自分の哲学がない」と思うなら、消した一文を見直してみてください
次の記事を公開する前に、本文から、ごく普通の助言を一つ選んでみてください。

「継続が大切です」
「読者の役に立ちましょう」
「まず行動してみましょう」
間違ってはいません。でも、これだけなら誰でも書けます。
そこで、その助言について、三つだけメモしてみます。
- どんな状況の人には、そのまま勧めにくいですか。
時間、お金、経験など、何の条件が違うと困るのかを書きます。
- その人のために、何を優先したいですか。
早く結果を出すことなのか、損失を抑えることなのか、本業を守ることなのか。今回の提案で優先するものを決めます。
- だから、何から始めるよう勧めますか。
「無理せず頑張る」で終えず、今週何を作るのか、何を減らすのかまで書きます。
この三つを本文に戻してみてください。
そうすると、ただ正しいだけだった助言に、対象と条件と、あなたの判断が入ります。
実体験を入れるなら、その判断を考えるための材料として使えば十分です。人生の全部を語らなくても、なぜそこが気になるのかを短く伝えるだけで、提案の理由は具体的になります。
ただ、ここで一つ、書く側にとって厄介なことがあります。
自分の判断を書いた一文ほど、公開前に消したくなるんですよね。
「そんなの、人によると言われそう」
「実績もないのに偉そうだと思われそう」
「違うやり方の人に嫌われそう」
それで、「どちらも大切です。自分に合う方法を選びましょう」と直してしまいます。
もちろん、条件や例外を書くことは必要です。事実が間違っていれば、直さなければいけません。
でも、反論されるのが怖いという理由だけで、何を勧めるかまで消してしまったら、読者が頼りにしたかった判断もなくなってしまいます。
あなたに思想がないのではなく、無難な文章へ直すたびに、自分の判断を削ってきた場合もあるんです。
もしそうなら、次の記事では、知識を足す前に、その一文を戻してみてください。
この状況の人には、僕はこれを勧めます。理由は、ここを大事にしたいからです。
そして、その理由を具体例と手順で支えてください。
AIが同じ知識を説明できる場面で、人間の発信者まで「詳しくまとめる係」だけを続ける必要はありません。
知識を使って、誰に何を勧めるのか。何は勧めたくないのか。そこまで伝えて初めて、読者はあなたを選ぶ理由を持てます。
人に選ばれたいなら、まず、自分が何を選ぶ人なのかを隠さないことです。




















