誰に向けて書くか。ここが決まらないまま、今日も一本書いて出している。
読者像を作れとは言われた。年齢、職業、年収、休日の過ごし方。テンプレートの空欄は全部埋めた。埋めたのに、一行目でまた手が止まる。
僕はこれを、人物像の作り込みが足りない話だとは見ていない。宛先が指定されていないだけだ。
読者像は「どんな人か」の説明で、宛先は「誰に届けるか」の指定だ。手紙なら、前者は相手についてのメモ書き、後者は封筒に書く名前になる。
メモをどれだけ細かくしても、封筒が白紙なら、その手紙はどこにも着かない。
読者像を埋めても、宛先は決まらない
読者像のシートを埋める作業は、ほとんど時間の無駄だ。年齢も職業も年収も、君が次に書く一文を一文字も変えない。
「38歳・男性・会社員・世帯年収600万」。この情報から、次の一行が出てくるだろうか。出てこない。
相手について本当に必要なのは、属性ではなく二つだけだ。
- 現実:なぜそれを解決したいのか(きっかけ・理由)と、なぜまだ解決できていないのか(詰まっている場所・不安・繰り返している失敗)
- 理想:どうなりたいのか。そして、なぜその状態が欲しいのか
この二つが分かれば、あいだをつなぐ方法はあとから調べられる。逆にここが空白のまま属性だけ埋めても、橋のかけ先が無い。
「理想の見込み客に向けて書け」が効かないのも同じ理由だ。理想の見込み客には輪郭がない。輪郭のない相手に、人は具体的な言葉を選べない。
いま書いている文章の宛先は、どのあたりにある?
左に寄っているほど、読む側は「これは自分の話か」を自分で判定させられる。判定させた時点で、たいてい閉じられる。
宛先の候補は、もう君の周りに三人いる
探しに行かなくていい。宛先にできる相手は、次の三人しかいない。
一人目|好きな人
恋人でも配偶者でも、いま一番大切に思っている相手でいい。判定はひとつだけある。
その人に面と向かって言わないことは、書かない。「禁断の」「たった二つだけ」「ほかに欲しい方はいませんか」。目の前の相手に、そんな言い方はしない。しないなら、書かない。
二人目|親、もしくは自分の子
その人が何かに苦しんでいて、こちらは解決策を持っている。その場面を想定して書く。
判定は「親に見せて恥ずかしくないか」「子に声に出して読んでやれるか」。昔の広告屋デイビッド・オグルヴィも、親に見せられないような広告を作るな、と言い残している。
三人目|自分自身
過去に同じところで詰まっていた自分に売る。判定は三段階ある。どこまで言われたら財布を出すのか。どの一言で不快になるのか。どこで買う気が消えるのか。
人は結局、自分が一番かわいい。だから自分に宛てた文章は、たいてい他のどれより正直になる。
この三人に共通しているのは、実在していることだ。だから「言うか、言わないか」を身体で判定できる。
読者像では判定できない。存在しない人物は、何を言っても怒らないし、白けもしない。
ブログを始めた2013年頃、三日かけて一本の記事を書いたことがある。同じ段落を何度も直した。これは絶対にバズると思っていた。
公開して一時間後、アクセス解析は0。翌日も0。朝に見て、昼にもう一度見た。あのとき僕が直していたのは、いつも文章だった。宛先を直したことは、一度もなかった。
宛先を決めた日にやる、四つのこと
順番に効いてくるので、上から片づけてほしい。
一つ目。宛先を一人、名前で決める。三人のうちの誰か。頭の中で「まあ、こういう人」と曖昧にしない。実在する人の名前で決める。
二つ目。その人の現実と理想を、紙一枚に書く。なぜ解決したいのか。なぜまだ解決できていないのか。どうなりたいのか。なぜその状態が欲しいのか。この四行でいい。年齢も職業も年収も書かない。
三つ目。ここが一番時間を食う。その人が実際に使っている言葉を集める。いちばん確実なのは、その人がいま反応しているものを見ることだ。読んでいる本、保存している投稿、実際に金を払った商品の販売ページ。内容ではなく語彙を読む。
拾った悩みと願望は、その場で書き出す。手書きでもメモアプリでも構わない。止め時の判定はこうだ。
新しいものを見ても、すでに書き出した悩みと願望しか出てこなくなったら、そこで止めていい。重複しか出ない時点で、その人の輪郭はほぼ拾い切れている。
あわせて、説明なしで通っている用語を控えておく。反応が取れている文章に説明抜きで出てくる言葉は、相手がすでに知っている言葉だ。そこを一から解説すると「知ってる」と閉じられる。
逆に、その界隈の人にしか通じない言葉を一つ二つ混ぜると、当人はそこで止まる。
タクシーの運転手は、道を建物で覚えていない。信号機で覚えている。信号機には町名が付いていて、建物と違って消えないからだ。運転手向けの地図は、信号機が細かく、建物は最低限しか載っていない。
だから運転手に何かを売るなら、建物の話をしても届かない。相手が世界を何で見ているかは、こちらの想像とだいたいずれている。
四つ目。最後は引き算になる。出口を一つに減らす。宛先が決まっても、出口が三つあれば読者は迷う。迷った脳は動かない。記事の末尾に並んでいるリンクを数えて、残すのは一つだけにする。
プロフィール、他の商品、実績一覧。全部いったん外していい。登録してもらうページと買ってもらうページも分ける。両方を一枚に載せると、どちらの数字も中途半端になる。
一人に絞ると読者が減る、は逆になる
ここでたいてい怖くなる。一人に宛てたら、他の人が離れるんじゃないか、と。
実際は逆に振れる。想定していなかった相手も反応するし、読んでいるうちにその宛先の人に近づいてくる読者が出てくる。文章を読みながら「自分もこっち側だ」と決めてくれるからだ。
理由は、読む側の損得で説明がつく。宛名のない文章は、読者が自分で「これは自分に関係あるか」を判定しないといけない。判定は手間だ。手間をかけた末に関係なかったら、時間を損する。
だから人は、判定させられた時点で閉じる。
宛名のある文章は、その判定を書き手が肩代わりしている。読者は数秒で「自分の話だ」と分かる。損をしない。優しさではなく、相手の時間を減らしているから選ばれる。
それに、全員に売る必要はない。百人のうち一人に届けば商売として成立する。薄く百人に当てるより、濃く一人に当てたほうが早い。
よくある質問
宛先に選んだ人が、自分の商品の客層と違ったらどうする?
ずれていても構わない。宛先は市場調査の結果ではなく、書くときの照準だ。ただ、その人の悩みと商品が解決する悩みが完全に無関係なら、そこは選び直したほうがいい。照準がぶれる。
好きな人も、親も、子もいない。
自分自身がいる。それで足りる。
途中で宛先を変えてもいいのか?
いい。むしろ発信を続けていれば変わる。読者から質問や返信が届くようになると、想像していた宛先より生々しい相手が現れる。そちらに乗り換えていい。だから記事の最後に質問を促す一行を置いておく価値がある。
実在の人を宛先にすると、顔が浮かんで書きにくくならないか?
逆のことが起きる。書きにくくなるのは、その人には言えない誇張や煽りを書こうとしたときだけだ。つまり書きにくさは、内容がおかしいという合図として使える。手が止まったら、文章の技術を疑う前に「いま、この人の前で同じことを言えるか」を先に確かめてほしい。
法人向けや堅い業界でも同じか?
同じだ。決裁するのは組織ではなく、そこにいる一人の担当者になる。
宛先を決めるのは、早ければ今日の30分で終わる。文章の勉強より先に効くし、やり直しもきく。
僕はここに何年もかけた。君は、そんなにかけなくていい。
宛先を一人に決めたあと、その人に何をどの順番で渡していくか。そこは無料のレター4通で扱っている。読んでみたければここから登録してほしい。
書いても読まれない原因を、型の側から扱った記事もある。発信が読まれないのは、君に「型」がないからだ ── 才能の前に、写経でインストールする話。宛先が決まったあとに読むと、噛み合う。














