実績がないから、何を書いても薄っぺらく見える。この悩みは、たぶんあなたが思っているのとは違う場所に原因があります。
自分の書いた文章を、一度そのまま声に出して読んでみてください。「長年やってきました」「圧倒的な量をこなしました」「本気で取り組みました」「たくさんの方に喜んでいただきました」。こういう語が、どこかに混ざっていませんか。
僕はこれを、実績が足りないから出てくる語だとは思っていません。数えていないから出てくる語です。
薄く見えるのは、実績がないからではない
「長年」も「圧倒的」も「たくさん」も、全部、目盛りのない言葉です。読んだ人の頭の中で、そのつど勝手な大きさに膨らんだり縮んだりする。書いた側は本気で書いているのに、受け取る側には輪郭が渡っていない。
たとえば「7年かかりました」と書くのと、「その7年で試作を2000回作りました」と書くのでは、伝わり方がまったく違いますよね。年数はどちらも同じ7年です。違うのは、その7年の中身を数えたかどうかだけ。
しかも、これは残酷なほど正直に出ます。同じ7年でも、試作が5回なら「7年で5回」としか書けない。数えると強度がそのまま露出するわけです。だから怖い。怖いから、僕らは「圧倒的」に逃げる。
つまり足りていないのは実績ではなく、目盛りのほうです。
業界の定番の答えと、僕がそこを採らない理由
ここで、セールスの教科書にはたいてい次のように書いてあります。数字は具体性を作る。「数日で」より「3日で」のほうが像がはっきりする。「もうすぐ」は人によって意味が変わるけれど、「2分」は誰にとっても2分だから、曖昧さがない。読み手に比較と評価の基準を渡せるし、ひらがなと漢字が並ぶ中で数字だけが異質に見えるから、視覚的にも目立つ。
ここまでは、そのとおりだと思います。
問題はこの先です。同じ教え方が、しばしばこう続きます。実際にあるか分からない数字でも、出したほうがいいと。何種類あるか正確には知らなくても「多い」より数を言え。実際は数回のテストでも、三桁の回数だと言えば丈夫そうに聞こえる。しかも細かい数のほうが「本当に測ったのだな」と受け取られるから、より細かくしろ、と。
つまり数字を〈測った結果〉ではなく〈信憑性の演出〉として使え、という教え方です。
正直に言うと、これは実際に効きます。効かないと言ったら嘘になる。だから頭ごなしに否定はしません。
そのうえで僕は採りません。理由は誠実さがどうという話ではなく、単純に割に合わないからです。
ひとつは、一度でも詰められたら終わるということ。「その117回って、どう数えたんですか」と聞かれた瞬間に、何も残らない。
もうひとつのほうが、僕にとってはずっと大きい。盛った数字は、自分が一番よく覚えているんです。書いた本人だけが、その数字の出どころを知っている。そうすると以後、自分の書いた数字を自分で信用できなくなる。数えた数字と、作った数字が、自分の中で混ざっていく。文章を書く仕事で、これはかなり効きます。
ときどき、金額だけを並べていく発信を見かけます。今日いくら稼いだ、今月はいくらだった、と。見るたびに、僕はあまりいい気持ちがしません。ただ、誤解のないように言っておくと、僕が嫌なのは金額の大きさではないんです。〈見せるための数字〉と〈数えた数字〉は、まったく別のものだという話をしている。
分水嶺は、数の大きさではありません。その数字がどこから来たかです。

数えるものを、結果から経過へ移す
ここからが本題です。
数字には二種類あります。結果の数字と、経過の数字。
結果の数字とは、売上・人数・順位・成約率のようなもの。これは強い。強いけれど、運と時間が要ります。今日から出せるものではない。実績がないと悩んでいる人が持っていないのは、まさにこれです。
一方、経過の数字は違います。何回やったか。何時間かけたか。何本書いたか。何回落ちたか。何人に断られたか。これは、今日から数えられます。
| 観点 | 結果の数字 | 経過の数字 |
|---|---|---|
| 中身 | 売上・人数・順位・成約率 | 回数・時間・本数・落ちた数 |
| 出せるまで | 運と時間が要る | 今日から数えられる |
| 実績がない人は | まだ持っていない | もう持っている |
| まず誰のためか | 読者に見せるため | 自分が現在地を知るため |
僕自身の話を少しします。手順の根拠なので、そのために出します。
会社を辞めたあとのしばらく、僕は自室にこもっていました。机の上は参考書とノートで散らかっていて、開きっぱなしのページの角が折れて、付箋が何枚も飛び出している。椅子の座面は同じところばかりへたって沈む。ペンを握りすぎて手のひらにタコができて、親指の横が痛かった。「もう二度と会社には戻らない」。それだけで、朝から晩まで詰め込んでいました。
1日9時間。
あの時期の僕には、外に見せられる結果は何一つありませんでした。売上も、実績も、肩書も、何も。それでも1日9時間という目盛りだけは持っていた。あれは誰かに見せるための数字ではなくて、自分が今日どれだけ通ったかを自分で知るための数字でした。
そこが大事なところだと、今になって思います。経過の数字は、まず自分のために存在する。読者に見せるのはそのあとの話です。
では、どう数えるか。順番に書きます。
1. 「頑張った」を単位に割る。
「頑張りました」は数字ではありません。何回やったのか。何時間かけたのか。何本書いたのか。何人に声をかけて、何回断られたのか。自分がやったことを、いったん単位のある言葉に割ってください。
2. 数えていないものは、今日から数え始める。
過去に遡って正確に数えられないなら、遡らなくていい。今日から数え始めれば、明日にはもう一つ増えています。これが、実績を待たなくていい理由そのものです。実績は積み上がるのを待つしかありませんが、目盛りは今日つけられる。
3. 出すのは、読者の悩みと同じ方向を向いた数字だけ。
関係のない数字を出すと、それは自慢になります。文章の書き方で悩んでいる人に、走った距離の話をしても仕方がない。「その数字は、この人の悩みのどこに効くのか」を一度自分に聞いてから出してください。
4. 数が小さいときは、盛らずに数える対象を変える。
まだ4回しかやっていないなら、4回と書けばいい。それでも弱いと感じるなら、数える場所を変えます。回数が少ないなら、1件にかけた時間へ。時間が短いなら、見た数へ。それも少ないなら、直した回数へ。盛るのではなく、目盛りを取り替える。 ここが一番の分かれ道です。
5. 数字の後に「で、何が分かったか」を一行足す。
これを忘れると、どれだけ正確に数えても自慢で終わります。「30本書きました」だけでは、読んだ人には何も残らない。「30本書いて、書き出しを変えただけで最後まで読まれる本数が変わると分かりました」まで書いて、初めて相手の持ち物になります。数字は入口で、解釈が中身です。
数字は、読者の判定を肩代わりする道具
なぜ数えた数字が効くのか。ここを「誠実だから」で説明したくありません。それは書き手側の都合です。
読んでいる人が本当にやっているのは、この人に自分の時間を使っていいかどうかの判定です。世の中には文章が多すぎて、全部は読めない。だから最初の数行で、読むか閉じるかを決めている。
そこで「圧倒的な量をこなしました」と書かれると、読者は困ります。圧倒的とはどれくらいなのか、自分で見積もらないといけない。判定の作業を、こちらが読者に丸投げしているわけです。相手からすれば手間でしかない。
- どれくらいなのかを読者が見積もる
- 自分に必要かどうかも読者が判断する
- 判定の作業を読者に渡している
- 多いか少ないかが一目で分かる
- 自分に必要かどうかも即座に決まる
- 判定の作業をこちらが引き受けている
「3ヶ月で30本書きました」と書いてあれば、その手間が消えます。多いか少ないか、自分に必要かどうかを、読んだ人がその場で決められる。時間が浮くし、ハズレを引く不安も減る。数えた数字は、読者の判定コストを下げる道具です。だから効く。書き手の人格ではなく、読み手の損得の話なんですよ。
ちなみに、これは自分でつけた目盛りの話であって、他人がつける数字とは別ものです。いいねの数やアクセス数に振り回される話は、数字は増えてるのに、ビジネスが進まないのほうで扱っています。
最後にもう一度書きます。
説得力が出ないのは、あなたの実績が足りないからではありません。自分が通ってきた経過を、まだ数えていないからです。そして経過は、結果と違って、今日から数えられる。
だから、実績が積み上がるのを待たなくていい。今日やったことを一つだけ数えて、その数字を一行、置いてみてください。それだけで明日にはもう書けます。
数えた数字を、読まれる一本にどう組み直すかは、無料のレター4通のほうで扱っています。読んでみたければここから登録してみてください。















