副業について調べていて、「これからは動画です」という話に行き当たったとします。
そこで試しに、スマホを棚に立ててみる。インカメラを起動する。画面に自分の顔が映る。それを何秒か見て、「いや、これは無理だな」と思って、そのまま閉じる。

もし似たようなことがあったとしたら、そのとき閉じたのは、たぶんカメラだけではないと思います。
ネットで何かを始めるという話ごと、少し遠くへ押しやってしまうことがあります。興味はあるのに、入口の前で引き返す。
気になるのは、そのあとです。顔を出すのが気が重い。その一点だけで、自分の商売まで諦めることになるんでしょうか。
顔を出せないことと、出せるものが無いことは、別です
この二つは、頭の中でくっつきやすいんじゃないかと思います。顔を出せない、だから発信ができない、だから売れるものも無い。こういう順番で並んでしまう。
でも、途中で一段飛んでいます。
顔を出さないというのは、見せ方をどうするかという話です。出せるものが無いというのは、中身の話です。入れ物と中身なので、本当は別々に決められます。
| くっつきやすい二つ | 何の話か |
|---|---|
| 顔を出さない | 見せ方をどうするかという話(入れ物) |
| 出せるものが無い | 中身の話 |
僕自身、顔は出していません。
顔を出すことに、いいところがあるのは分かります。早く覚えてもらえるし、人柄も伝わりやすい。顔を出したほうが早く進む商売もあると思います。そこを否定するつもりはありません。
引っかかっているのは、「顔を出せないなら売れない」というほうです。これは確かめられた結論というより、最初から前提として置かれているだけに見えます。
買う人が先に欲しいのは、たぶん顔ではありません
たとえば、毎月の集計に半日とられている人がいるとします。
その人が欲しいのは、集計が早く終わることです。教えてくれる相手の顔が見えているかどうかは、そのあとに来ます。
断られにくい提案の作り方を知りたい人も、40代から職務経歴書を書き直したい人も、たぶん同じだと思います。困っているところが片づくなら、順番としてはそれが先に来る。
もちろん、顔が見えていたほうが安心だという人もいます。そこは人によります。
ただ、顔が見えないと何ひとつ届かない、というほど強い話ではないはずです。
20年やってくると、それなりに溜まります
仕事を20年、30年と続けてきたなら、そのあいだに溜まったものは、それなりの量になっているはずです。
新人の頃につまずいたこと。上司に言われて覚えたこと。後輩に同じ説明を何度もしたこと。面倒な作業を少しでも短くするために、自分で編み出した手順。客とのやりとりで覚えたこと。転職、部署異動、営業や管理職でやったこと。取った資格。趣味で詳しくなったこと。買って後悔したもの。

これは、持っている本人からはあまり値打ちに見えないものだと思います。毎日やっていることなので、当たり前の作業として通り過ぎてしまう。
ただ、10年前のあなたと同じ場所に立っている人から見ると、同じものが違って見えることがあります。あなたに当たり前に見えるのは、もう身についているからだと思います。
「営業20年です」では、まだ届きません
ここで一つ、分けておきたいことがあります。
年齢そのものを売るわけではありません。働いてきたあいだに溜まったものを出す、という話です。
「営業を20年やってきました」とだけ書いても、読んだ人が持って帰れるものは、まだ少ないと思います。20年という長さはこちらの事情であって、読む人の困りごととまだつながっていないからです。
具体的なところまで降ろすと、こうなります。「値引きを求められたときに、その場ですぐ下げないための返し方」。ここまで来ると、同じことで困っている人へ手渡せます。
長さを出すのではなくて、その中で身につけた一手を出す。そう考えると、20年はそのまま素材の山になります。
- 「営業を20年やってきました」
- 「値引きを求められたときに、その場ですぐ下げないための返し方」
顔を出さなくても、人間は消えません
顔を出さないことと、人間を消すことは、別です。
失敗したことを書けば、書いた人は見えます。最初に勘違いしていたことを書いても見えます。今も苦手なことを書いても見えます。ここは自分ならこう決める、と書けば、その人の判断が見えます。
信用も、顔以外から作れます。書いてきたもの、選び方、約束したことと、それを守った記録。言っていることが前と後ろで揃っているかどうか。積み上がれば、それが信用になります。
顔を見せる場合と同じ速さで、とはいかないと思います。ただ、作れないものではありません。
一つだけ気をつけたいのは、見せ方の奥にある知識や判断や責任まで作り物にしてしまうことです。顔を出さないという選び方は、中身をごまかしていい許可ではありません。
昔より、道は通りやすくなりました
顔を出さずにやろうとすると、昔は自分の側にいろいろな技術が要りました。読ませる文章を書く。ページを整える。見た目を作る。そういう技術を揃える手前で止まった人もいたと思います。
今は、その技術を自分で全部持たなくてもよくなりました。自分の中にある素材を、人に伝わる形へ直すところは、AIに手伝ってもらえます。
ただし、経験そのものはAIには作れません。何を出すか、誰に向けて書くか、最後にどう決めるか。ここは持っている人の側に残ります。道具を使ったから売れる、という話ではないです。中にあるものを外へ運ぶ距離が、前より短くなった、ということだと思います。
戻ってくるのは、選択肢のほうです
この記事で起こしたいのは、明日から売れるようになることではありません。そこは約束できません。
「自分には無理だ」と言って、はじめから候補から外していたもの。それが、「この形なら自分にもやれるかもしれない」というところまで戻ってくること。今のところ、僕が置きたいのはそこまでです。
顔を出して堂々と話している人が別世界に見えるなら、その世界に合わせにいかなくていいと思います。自分に合わない戦い方を、わざわざ選ぶ必要はありません。
僕も人見知りで、電話は今でも苦手です。それでも、案内も、商品を説明するページも、全部文章で書いています。
あなたが働いてきたあいだに持って帰ってきたものは、カメラに映らないところに置いてあります。顔を映すかどうかを決めるのは、そのあとでも遅くありません。




















