コンテンツビジネスを始めたいのに、まず何を学べばいいか分からない。そこで止まっていないか。
僕はその気持ちがよく分かる。何かを始めようとすると、人はまず準備をしたくなる。教材を探す。評判のいい人を探す。正しいやり方を探す。始める前に、できるだけ多くの正解を手元に集めておきたくなるんだよね。
でも、この「ちゃんと準備ができてから始めよう」という構えが、実は一番やっかいな落とし穴だ。準備が終わる日は、永遠に来ないからだ。
準備が終わったら始める、では一生始まらない
教材を一つ読み終えると、次に気になる教材が出てくる。一人の発信者を追いかけると、別の人が違うことを言っている。学べば学ぶほど、知らないことが増えていく。
これは当たり前のことで、君が悪いわけじゃない。情報というのは、追いかけるほど増える性質を持っている。だから「全部分かってから始めよう」と思っている限り、永遠に準備のフェーズから出られない。
はっきり言うと、準備が終わってから始めようとする限り、君のビジネスは一生始まらない。厳しい言い方だけど、これは僕自身が痛い目を見て分かったことだ。
「自分には出すものがない」は、たぶん錯覚だ
「でも、自分には人に出せるものなんて何もない」と思うかもしれない。実績もない、資格もない、語れるほどの成功もしていない、と。
僕も最初、まったく同じところで止まっていた。だから気持ちは分かる。
でも先に言っておくと、「出すものがない」は事実じゃなくて錯覚であることがほとんどだ。正確には、出すものがないんじゃない。探している場所が、外を向いているだけなんだ。
教材を集めるほど、君は「みんなと同じ」になっていく
良い教材を買い集めるほど、君はその他大勢に近づいていく。
これは教材が悪いという話じゃない。むしろ逆で、良い教材ほど多くの人が買っている。みんなが同じ良い教材で同じ正解を学ぶ。すると、出てくる発信の中身も似てくる。
考えてみてほしい。君が買った教材は、君以外の何百人、何千人も同じものを持っている。そこから学んだ「正しいやり方」は、その全員が手にしている武器だ。同じことを言う人が百人いる中で、君から買う理由が、どこにある。
外から買った正解は、誰でもコピーできる。コピーできるものでは、差はつかない。だから埋もれてしまう。
僕は外の正解で稼いで、一夜で全部失った
僕は昔、アフィリエイトで大きく稼いでいた。やり方は外から学んだものだった。SEOのテクニック、稼げるテンプレート、誰かが作った勝ちパターン。それを忠実になぞって、数字を伸ばしていった。
うまくいっている間は、それで十分だと思っていた。自分の頭で何かを生み出している感覚はなかったけど、お金は入ってくる。借り物のやり方でも、結果が出ればいいじゃないかと思っていた。
2017年、それが一夜で消えた。Googleのアップデートが来て、僕が積み上げてきた仕組みは丸ごと検索の表から消えた。前の日まで動いていた数字が、翌朝にはゼロになっていた。
外から買った正解は、外の都合で一瞬で無効になる。つまり自分でコントロールできない力に、全部乗っかっていたということだ。当たり前のことなんだけど、当時の僕はそれが分かっていなかった。
残高ゼロの画面の前で、世界の音が消えた
そこから僕は焦った。崩れた数字を取り返そうとして、残っていた金を投資に突っ込んだ。慢心していたんだと思う。「自分ならすぐ取り返せる」と。
結果は赤。さらに突っ込んで、また赤。気づいたら、稼いだ分どころか、600万の負債が残っていた。
最後に残高を確認した夜のことは、今でも覚えている。画面に「残高0円」と表示された瞬間、世界からプツンと音が消えた。ファンの音も、外の風の音も聞こえない。血の気がサーッと引いて、指先の感覚がなくなった。心臓の鼓動だけが、嫌なリズムで鳴っていた。
絶望というより、虚無だった。俺の手で、俺を追い込んだ。借り物のやり方で出していた数字だったから、土台ごと、何も残らなかった。
売れるものが何もない、と思っていた
借金600万を背負って、僕の手元には売れるものが何ひとつ残っていないと思っていた。
実績は消えた。仕組みも消えた。外から買ったノウハウは、もう通用しない。何かを売って立て直そうにも、商品になるものがない。そう思い込んでいた。
でも一つだけ、消えていないものがあった。残高はゼロになっても、僕が通ってきた失敗と遠回りは、そのまま手元に残っていたんだ。
最初はそれを資産だなんて思えなかった。失敗は隠したい過去で、思い出すのも嫌なものだった。でも、ほかに何もないんだから、それを見るしかなかった。
矢印を、外から自分の中へ向け直す
ここが、僕にとって最初の転換だった。
それまでの僕の頭は、ずっと外を向いていた。何を学ぼう、どの教材がいい、正解はどこにある、と。これは買う側、選ぶ側の頭だ。準備ばかりして、いつまでも始められない人の頭でもある。
転換というのは、その矢印を自分の中に向け直すことだった。外に正解を探しに行くんじゃなくて、自分が通ってきた失敗や遠回りを掘る。これが、何かを生み出す側の頭への切り替えだった。
これが効くのは、君の利益に直結しているからだ。外の正解は誰でもコピーできるから埋もれる。でも君が通ってきた経験は、君だけのものだ。君が通ってきた失敗は、順番も感じ方も君だけのものだ。だから誰もコピーできない。コピーできないものだけが、最初から君の武器になる。
そして何より、自分を掘るのに準備はいらない。今日から始められる。教材が全部そろうのを待つ必要も、誰かの許可をもらう必要もない。「準備ができてから」という消費のループを、その場で抜けられる。
才能はいらない。経験が浅くてもいい
ここまで読んで、自分にはまだ語れるほどの経験がない、と思ったかもしれない。
その心配はいらない。同じ本を読んでも、感じることは人それぞれ違う。経験が浅くても、そこに自分なりの解釈を一つ足せれば、それはもう君だけの材料になる。その違いが、そのまま価値になる。
特別な才能も、大きな成功もいらない。必要なのは、自分が通ってきた道を、ちゃんと言葉にする手間だけだ。だから小さく始めていい。
最初の一手は、ノートに失敗を書き出すこと
ノートを一冊開いて、自分が通ってきた失敗や遠回りを書き出してほしい。僕の場合なら「借金」「投資で全部溶かした」「焦って自分を追い込んだ」。君なら、君の失敗を書く。仕事でのつまずき、お金の失敗、人間関係でこじれたこと、何でもいい。
最初はきついと思う。文字にすると痛々しいし、恥ずかしいし、重い。白い紙に自分の失敗が並ぶのは、見ていて怖い。僕も最初はそうだった。でも、そこで手を止めないでほしい。
書き出したら、一つ一つに、こう問いを足していく。「で、これで何に気づいた?」と。
借金をして、何に気づいたか。焦って動くと余計に失う、と気づいた。だったらそれは、これから同じ状況にいる誰かに渡せる教訓になる。そうやって意味を書き足していくと、ゴミだと思っていた過去が、誰かの役に立つ材料に見えてくる。
これが「自分を素材として見る」の、一番最初の動作だ。教材を一つ増やすより先に、まずこれをやってみてほしい。
実績ができてから、じゃなくていい
ここで多くの人がまたつまずく。「まだ語れるほどの実績がないから」と。
でも順番が逆なんだ。実績を出してからコンテンツにするんじゃなくて、コンテンツにするために動く。今やっていることを、最初から「これは後で誰かに渡せる材料だ」という目で見ながら進める。
そうすると、うまくいったことだけじゃなく、失敗も価値ある材料になる。漠然と挫折して終わるのと、最初から素材にするつもりで動くのとでは、同じ一日でも残るものがまるで違う。
人は結局、機能やスペックだけでは選ばない。同じことを言っている人が大勢いたら、その中の誰を信じるかは、その人がどんな道を通ってきたかで決まる。君の経験は、その「どんな道を通ってきたか」そのものだ。
僕自身が、全財産を失ったところから何を考え、そこからどう立て直したのか。その話は連載に書いた。もし気になったら、のぞいてみてほしい。
外の正解より、自分の経験のほうが強い
何を学ぶか、どの教材がいいか。その問いの前に、決めるべきことがある。頭の向きだ。
外の正解を探している限り、君が手にする答えは、他の誰かと同じものになる。それは君が悪いんじゃない。みんなが同じ場所を探しているからだ。でも君の中には、君だけが通ってきた失敗と遠回りがある。それは誰にもコピーできない。だから最初から武器になる。
僕は外の正解で稼いで、一夜で全部失って、残ったのは失敗だけだった。その失敗が、結局いま僕を立て直した。あの時、外を探しに行かずに自分を掘ったから、今がある。
準備が終わる日は来ない。だから、準備の途中でいい。今日、ノートを一枚開いて、君の失敗を一行だけ書き出すところから始めてほしい。君の最初の武器は、もう君の中にある。あとは、それを一行ずつ言葉にしていくだけでいい。
















