売り込むのが、こわい。誰かに嫌われたくない。そういうこと、ないか。
募集の告知文を打ち込んで、最後の「買ってください」の一行だけが、どうしても書けない。値段を出す瞬間に指が止まる。送信ボタンの前で、書いた文章を何度も読み返す。「重いと思われたら」「がっついてると思われたら」——そう考えた瞬間に、声がしぼむ。
君は今、自分の中身が嫌われると思っている。違う。嫌われるのはセールスじゃない。雑なことばだ。
そしてもう一つ、君が本当にこわがっているのは、嫌われることよりも、自分の頭の中を見られることのほうだ。
これは僕が長く、いちばん勘違いしていた話でもある。
嫌われているのは、セールスじゃなくてしょぼいことば
「情報発信はいい。でもセールスは嫌われる」——君もどこかでそう思っているだろう。発信ならよろこばれるのに、売る瞬間だけ急に悪いことをしている気がする。届けるべきなのに、頭を下げないといけない気がする。
でも、情報も、コンテンツも、セールスも、ぜんぶ同じものでできている。ことばだ。発信のことばが軽ければ信頼は下がる。中身が雑なら満足は下がる。セールスのことばが鋭ければ「この人の中身、もっと良さそうだ」と期待される。三つに違いはない。
| 情報 | コンテンツ | セールス | |
|---|---|---|---|
| 材料 | ことば | ことば | ことば |
| 雑だと | 信頼が下がる | 満足が下がる | 安く見える |
| 濃いと | もっと読みたい | また欲しい | 中身も濃そう |
だから、心変わりも、解除も、たいていは「売ったから」起きると思われている。本当の引き金は、ことばが雑だったことのほうにある。
人がスッと離れていくのは、売り込まれた瞬間ではなく、薄っぺらいことばを見せられた瞬間だ。中身がどれだけ良くても、ことばが雑だと安く見える。逆に、たった一行が濃いと、その奥がぜんぶ濃く見える。
つまり、君が縮こまって声を小さくするほど、いちばん面白い部分を自分から隠していることになる。「嫌われたくない」は、売れない理由じゃない。自分の頭の中を見せるのが、こわいだけだ。
君が今、告知文の最後で指を止めているその一行は、「お願いします」じゃなくていい。「僕はこう考えてこれを作った」でいい。それは謝罪じゃなくて、ネタ見せだ。
売る瞬間は、謝る時間じゃない——腹の内を見せる時間だ
セールスを、お笑いのネタ見せだと思ってくれ。
その場で売れなくてもいい。客がシーンとしてても、最後まで全力でやり切った人間の腹の内だけは、ちゃんと残る。「この人、面白いな」が残る。逆に途中で弱気になって声を小さくした人は、「で、結局なんだったの」しか残らない。
セールスを下げる謝罪文を書く人間は、一生、自分のいちばん面白い部分を客に見せられないままで終わる。きつい言い方なのは分かっている。でも、声を落とすクセは、商品が変わっても、客が変わっても、ずっと君についてまわる。
声を落として「お願いします」。判断材料を渡さず、ただ頭を下げる。残るのは「で、結局なに?」
「こう考えて作った」と腹の内を出す。相手は必要かを一発で判断できる。残るのは「この人、面白い」
買い手が計算しているのは、君の誠実さじゃない。自分の損が減るかどうかだ。
人が金を払うのは、自分の損が減るからだ。「セールスのことばがここまで濃いなら、中身でハズレを掴むことはなさそうだ」——買い手はそう値踏みする。これがいちばんでかい。リスクが減る。
次に、見せるセールスは「自分に必要か」を一発で判断させてくれる。謝るセールスは判断材料を一つも渡さないから、相手は選ぶのに時間を食う。見せる側は、その選ぶ手間を肩代わりしている。
そして最後に、エゴだ。濃いことばで選んだ買い手は「自分は良いものを見抜いた」と思える。その鏡を差し出せるかどうか。
君が「重いと思われたくない」と声を落とすのは、買い手の損を減らすチャンスを、自分の都合で潰しているだけだ。こわいのは分かる。でも、君が見せないことで困るのは、ハズレを避けたかった相手のほうだ。
謝る時間を、見せる時間に変える。それだけで、同じ商品の同じ説明が、まったく違うものとして届く。
セールスは、声をかける前に9割が決まっているという話もある。セールスは、声をかける前に9割終わっている——準備の話だ。でも今日話しているのは、その先。準備を終えて、いざ口を開く「その瞬間」に縮こまるな、という話だ。
君の頭の中は、3つの顔で相手に届いている
「ことばを濃くしろ」と言われても、漠然としているだろう。
濃いことばというのは、つまり、考えていることを隠さずどこまで見せ切れるか、という話だ。そして君の中身は、いつも3つの顔で相手に届いている。こわくて声を落とす時、この3つが全部しぼむ。逆に言えば、ここを一つずつ上げれば、隠していた手の内が、勝手に濃く見えてくる。
ひとつ目は、内容そのもの。何を見せるか、だ。
「品質が高いです」じゃ、中身は見えない。「毎朝、僕がこの目で一個ずつ確認している」なら、手の動きまで見える。事実は同じでも、手ざわりが変わる。中身を語る時は、抽象語を一個、具体的な行動に置き換えるだけでいい。
ふたつ目の伝え方は、順番の問題だと考えてくれ。相手の今の困りごと→なぜそれが起きるか→今日できる一手→例→次の行動。この順に並べるだけで、売り込み臭は消えて「役に立つ案内」に変わる。同じ内容でも、順番が乱れていると、相手は途中で覗くのをやめる。
-
1
内容|何を見せるか
抽象語を一個、具体的な行動に置き換える。「品質が高い」より「毎朝この目で確認している」。
-
2
伝え方|どの順で見せるか
困りごと→なぜ起きるか→今日の一手→例→次の行動。順番を整えるだけで売り込み臭が消える。
-
3
見せ方|どう読ませるか
短い文・見出し・改行のリズム。声に出して読めるか。読みやすさも腹の内への入り口になる。
みっつ目、君は自分の文章を、声に出して読んだことがあるか。短い文、見出し、改行のリズム。読みやすく整えるだけで、相手は「ていねいに扱われている」と感じる。これも立派なことばの一部で、君の腹の内への入り口になる。
3つのうち、君はどれが一番しぼんでいると思う?
たとえば、内容は持っているのに、見せ方で全部黒い壁みたいな長文にして、読む前に閉じられている人。逆に、見せ方は上手いのに、中身が「がんばります」しかない人。自分のどこが弱いか、一度だけ正直に見てくれ。
3つ全部を一気に上げる必要はない。一番しぼんでいる一つを、次のセールスで意識する。それだけで、隠れていた中身が、目に見えてあらわになる。
次のセールスで、たった一つだけ変えてくれ
ここまで読んで、君はもう「ことばを濃くしたほうがいい」とは分かっているだろう。でも、分かっていることと、次の本番でできることは、まだ別だ。
- 最後は「お願いします」
- 声がいちばん小さい一行
- 謝って終わる
- 「お願いします」を消す
- 「作った理由」を一文足す
- 謝罪がネタ見せに変わる
だから、具体的な一手を一つだけ渡す。
次に何かを売る時、その告知文を上から読み返して、いちばん声が小さくなっている一行を探してくれ。だいたい、値段の前か、締めくくりの「お願いします」のあたりにある。
その一行を、こう書き換える。「お願いします」を消して、「僕がこれを作った理由」を一文だけ足す。たった一文でいい。「なぜ作ったか」が入っただけで、それは謝罪からネタ見せに変わる。
そして、滑ってもいい。今回反応がなくても、君の中身が一度でも相手に届いたなら、それは次の発信で効いてくる。セールスは点じゃなくて線だ。一発の成約より、「この人の次も見たい」を残せたほうが、長く効く。
僕がこの話を君にしているのは、口がうまいからでも、誠実だからでもない。君がハズレの一行で損をするのを、先に通った人間として減らせるからだ。結果として「この人の言うことなら」と思ってもらえるなら、それは僕が偉いからじゃなく、君の損を一つでも肩代わりできた、その後に残るものだ。
君がいちばん見せたくない、頭の中のあの部分——いちばん面白くて、いちばんこわくて、隠してきたところ。それを次のセールスで一行だけ出したら、相手はどんな顔をすると思う?
その答えは、出してみないと分からない。僕も、まだ全部は出し切れていない。だから僕は、自分の番が来るたびに、隠したくなる一行をひとつだけ表に出すと決めている。君も、次の本番で、その一行を試してみてくれ。出した分だけ、ことばは濃くなる。
追伸。
僕にも、自分のことばが一つもなかった時期がある。2012年から2013年にかけて、師と決めた人のブログを、画面に穴が開くほど見つめて、一言一句、改行のリズムも、句読点の位置も、使う単語の選び方まで、まるごと写経していた。
自分の色は一切出さなかった。エゴを殺して、他人の型に自分を流し込んでいた。キーボードを叩く指の関節が熱くなって、手首が痛むまで、ただなぞり続けた。
その頃は、耳にもいつもイヤホンが入っていた。通勤も、風呂も、寝る前も。成功者の音声を、鼓膜が痛くなるまで流し込む。その量、7000時間。
だから、いざ「自分のことばで売れ」「自分を見せろ」という番が来た時、僕は自分のことばが何なのか、本当に分からなかった。書いても書いても、出てくるのは師の言い回しばかりで、自分の色が一つも出せない。
こわくて声を小さくして、いちばん面白いところを隠す——この記事で君に言ったことを、僕がいちばん長くやっていた。
借り物の声の裏に隠れるのは、楽だ。でも、その裏からは、誰も君を見つけられない。
















