売るために、自分を売り込まなくていい。|無言起業
凡人再起動ログ 全10話・完結

K.藍沢が、二度ゼロから立ち上がるまでの全記録。転んで、また立った、不格好な足跡の話だ。

転落① 転落② 上昇① 上昇②
二度の転落二度の上昇 2度目は、もっと深く。そして、もっと高く。
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順番は自由。気になった扉から、どうぞ。
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「必ず稼げます」と書いた瞬間、何を引き受けることになるのか

ネットで稼ぐ方法を探していると、一度は行き当たる案内があります。

「誰にでもできます」「毎月これだけ入ります」と、金額まで添えてあるやつです。

読んだ瞬間に、期待と疑いが半分ずつ湧いてくる。本当ならありがたいし、本当ならこんなところに書いてあるはずがない気もする。どっちの気持ちも正しそうで、どっちを信じればいいのか決め手が無い。あの感じです。

僕は案内も販売のページも文章で書いているんですけど、その中に「必ず稼げます」という一文は、探しても出てきません。

書き忘れているわけでもなくて、書ける場所が無いんです。

その「書ける場所」の境目がどこにあるのかを、一度、机の上に置いて見てみたいと思います。

机の上に、二種類のものが混ざっている

自分で作ったものに値段を付ける夜、というのがあります。

これは手元で決められます。高いか安いかはともかく、決めるのは自分です。

誰に向けて書くか。これも自分で決められる。いつ出すか。これも決められる。どこまで丁寧に作るか、出したあとにどれくらい手を入れるか。ここまでは、全部こちらの手の中にあるものです。

ところが同じ机の上に、手の届かないものが一緒に載っています。

受け取った人が、その先で何を扱い、誰に向けて売り、いくらにして、どれだけ手を動かすか。その人の周りに、似たものを売っている人がどれだけいるか。こういうことは、書いている側からは決められません。

決められないのに、机の上では隣り合っている。こちらの値段を書いた紙のすぐ横に、受け取った人がこの先に引く値段の紙が(まだ白紙のまま)置いてあるようなものです。

自分の手で決められるもの 受け取った人がその先で決めること
誰に向けて書くか
何を渡すか
いつ出すか
どこまで丁寧に作るか
出したあとどれだけ手を入れるか
何を扱うか
誰に向けて売るか
いくらにするか
どれだけ手を動かすか
周りに似たものを売っている人がどれだけいるか

受け取った人が稼げるかどうかは、この両方で決まります。売る側が握っているのは、このうちの一部なんですね。

一部、というところが今回の話の中心です。

「必ず」の一文が引き受けてしまうもの

案内を書いている途中で、「必ず稼げます」と一文入れたらどうなるか、を考えてみます。

その一文を書いた瞬間に、受け取った人が何を扱い、誰に向け、いくらにし、どれだけ手を動かすかまで、こちらが引き受けたことになります。決められないものを、決められないまま引き受ける。

これは重いです。重いというより、持ちようが無い。

自分の手が届くところと届かないところの境目に線を引くとしたら、「必ず」の一文は、線のかなり向こう側に立っているわけです。

では線の内側、つまり約束として口に出せるのはどこまでか。

僕の答えは三つで、やり方と、それを実行できる仕組みと、うまくいかなかったときに直せる能力、ここまでです。

(言い換えると、稼ぐための能力と仕組みが、あなたの手元にできあがること。ここまでなら約束の内側に入れられます。)

売上の額は、この三つの外側にあります。三つが揃った上で、何を扱うか・誰に向けるか・いつ出すか・どれだけやるかで動くものなので、額を先に約束してしまうと、受け取った人がその人自身の机の上で決めることまで、こちらが言ったことになってしまうんですね。

だから僕は、出せて、反応を受け取れて、直せる、という状態を作るところまでを、いちばん強く引き受けます。その先を伸ばすための考え方や打ち手や直し方は渡す。渡した先で額がどう動くかは、受け取った人の机の上の話になります。

線はここで引かれています。理由は、手が届くのがここまでだから、というだけです。

二つの案内が並んだとき

ここまでは書く側の話でしたが、読む側の得に置き換えてみます。

案内が二つ並んでいるとします。

一つは、自分の手元で決められることだけを細かく書いた案内。何をどういう順番で身につけるのか、どういう仕組みで出すのか、うまくいかなかったらどこをどう直すのか、が書いてある。

もう一つは、読む側の状況まで含めて言い切った案内。あなたも、何ヶ月かすれば、これだけ。

僕の目には、後者を読むときのほうが、真に受ける度合いを自分で調整しないといけないように見えます。書いた人の手が届かない部分まで文章に入っているので、どこまでが書いた人の手の中で、どこからが読む側の事情なのかを、読む側が仕分けしながら読むことになる。

前者だと、仕分けの手間がだいぶ減ります。書いてあることが全部、書いた人の手の届く範囲なので。

これは、案内を読むときの物差しになると思うんです。

「この人は、自分の手が届くことだけを書いているか」。

これを一つ見るだけで、期待と疑いが半々のまま固まっていたところから、少し動けます。信じる・信じないを決める前に、書いてある文が線のどっち側にあるかを見ればいい。

線の向こう側の言葉が多い案内は、そのぶん読む側が自分で仕分けする分が増える、というだけの話です。

いつか、あなたが書く側に回ったとき

もう一つ、少し先の話をします。

あなたがいつか、自分で何かを出して、案内を書く側に回ったとします。

そのとき、書く前に「何を書けて、何を書けないか」が先に決まっている状態と、決まっていないまま勢いで大きなことを書いてしまう状態とでは、その後がだいぶ違います。

後者は、書いたときは勢いがあるでしょうけど、出した後、書いた分だけ自分が引き受けることになります。届かないものまで引き受けるので、そこから苦しくなる。

前者は、書いた分が全部手の届く範囲なので、出した後にやることがはっきりしています。反応を見て、直す。そこから始められます。

線を先に引いておくというのは、売る側にとっても、自分が引き受けるものを手の届く範囲に収めておく、ということなんですね。

僕の机の上

僕は、顔を出していません。人前で話すこともしていないし、電話も苦手で、そもそも人見知りです。方針でもあり、性格でもあります。

なので、案内も販売のページも文章で書いていて、買ってもらう前にその人と話す場面が、どこにもありません。

文章に書いたことが、そのまま約束の全部になるわけです。口で補足する場面が無いので、線の内側のことしか書かない、と先に決めておくしかない、ということになります。

そして出したものの反応は、数字で確かめています。それを見て、次に何を書くか、どこを直すかを決める。これを毎回やっています。

線の内側のことしか書かないかわりに、線の内側のことは引き受ける、というのが僕の机の上の決まりです。

ですから、あなたがこれから案内を読むときも、いつか書くときも、迷ったら机の上を思い出してみてください。手が届くものと届かないものが、同じ机に載っている。どこに線が引いてあるかを見るだけで、読み方も書き方も、だいぶ落ち着くと僕は見ています。

そして線の引き方そのもので迷ったときは、ここに戻ってきてください。僕は同じ場所で、同じ線を引いて、書き続けています。

誰にも気づかれない夜の、君へ

AIに書けるものは、これから一番安くなる。
君の生き様は、これから一番、値がつく。

機能で消耗する時代は、静かに終わっていく。武器になるのは、何度もコケて、それでも続けてきた、君の生き方の方だ。それは作るものじゃない。もう、君の中に埋まっている。

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