プロローグ|一度全部失った男の、静かな朝

プロローグ
凡人再起動ログ
全10話

今朝も、目覚ましが鳴る前に、自然と目が覚めた。それだけのことが、昔の僕には信じられない奇跡だった。

カーテンの隙間から、薄い光が入ってくる。枕元のスマホを見ると、セットしたアラームより十五分も早い。誰にも起こされていない。誰にも急かされていない。

布団の中で、天井をぼんやり眺める。今日は何時から机に向かおうか、と考える。その「自分で決められる」という感覚が、今でも少しくすぐったい。昔の僕なら、この時間にはもう、胃のあたりが重くなっていた。

カーテンの隙間から薄い光が差し込む、静かな朝の寝室

01昨日の自分を、排水溝に流す

起きたら、まず浴室に行く。熱いシャワーを頭からかぶる。昨日のうまくいかなかったことも、言わなくてよかった一言も、湯と一緒に排水溝へ流していく。流れていく音を聞きながら、「よし」と小さく言う。それで、昨日は終わる。

曇った鏡を、手のひらでぐっと拭く。そこに、今日の顔がいる。四十四歳の、少し疲れた顔だ。でも、悪くない顔だ。

それから、自分でタイマーをかける。ここからの二時間は仕事、と区切る。上司もいない。タイムカードもない。区切るのも、緩めるのも、全部自分の役目だ。

拍子抜けするくらい、静かな朝だ。

02この静けさの前に、一度全部失っている

ただ、誤解しないでほしい。僕は、生まれつきこういう朝を持っていたわけじゃない。

この静けさにたどり着くまでに、一度、全部手に入れた。そして、その全部を、一晩でなくした。

数字の上では一億を超えていた時期がある。浮かれて、調子に乗って、そのまま落ちた。同じ数字が、ゼロを通り越して、マイナスに沈んだ時期もある。そこから、もう一度、這い上がってきた。

——だから、この朝の静けさの正体を、僕は知っている。それは、地獄の朝を何百回も見た人間にだけ見える静けさだ。タダでもらった静けさじゃない。

03あの頃の朝は、こうだった

あの頃の地獄の朝

満員電車で他人の背中
指一本動かせない
残高ゼロの天井

=目覚めた瞬間、もう負けていた
VS
今の静かな朝

目覚まし前に、自然と覚醒
シャワーで昨日を流す
自分でタイマーをかける

=起こすのも区切るのも、自分

満員電車に押し込まれて、誰かの背中で呼吸していた朝。布団から指一本動かせなかった朝。通帳の残高がゼロなのを思い出して、天井のシミを数えた朝。

——種類が、違う。

一つは外に潰された。一つは内側から壊れた。最後のは、ただ怖かった。どれも、目が覚めた瞬間に、もう負けが決まっていた。朝の光が、味方じゃなかった。

君にも、覚えがないだろうか。鳴り続けるアラームを止めて、それでも布団から出られない、あの朝。体は起きているのに、心がまだ眠ったふりをしている、あの感じ。「また今日が始まるのか」と、目を開けた瞬間に思ってしまう朝。

あれを一度でも知っている人になら、この先の話は届くと思う。

04「仕方ない」は、事実じゃなかった

あの頃の僕は、その全部を「仕方ない」で片付けていた。会社がきついのも仕方ない。朝がつらいのも仕方ない。こういう人生なんだから、仕方ない。

そう唱えていれば、その場は傷つかずに済んだから。便利な言葉だった。何も変えなくていい言い訳に、ちょうどよかった。

でも、今ならはっきり言える。あの「仕方ない」は、事実じゃなかった。誰かが本当のことを言ったわけじゃない。僕が、僕自身に、勝手にかけた呪いだった。他人の物差しを握らされて、それが自分の意思だと思い込んでいただけだった。そして、握らされていることにすら、当時は気づいていなかった。

僕が本当に立ち上がれたのは、金が増えた時じゃない。「これは仕方なくなんかない」と思えた、あの瞬間からだった。呪いは、解ける。僕が、現にこうして静かな朝にたどり着いている。それが、解ける証拠だと思っている。

05君に、一枚の地図を渡す

大地を蛇行しながら続く一本の道(人生の地図)

これから君に、僕の半生を十話に分けて話していく。ただ、時系列でぜんぶは並べない。だから迷子にならないように、先に地図を一枚渡しておく。

  • 〜2011年約七年、サラリーマン。レールの上で、奴隷みたいに働いていた頃
  • 2012年心と体が壊れて、休職した
  • 2013年会社を辞めて、独立した
  • 2013〜2017年一度目の成功。アフィリエイトで、累計一億を超えた
  • 2017年全部失った。投資で溶かし、借金六百万を背負った
  • 2017〜2024年七年かけて、その借金を返した
  • 2023〜現在二度目の成功。コンテンツとコンサルで、もう一度一億を超えた

この地図のどの点にも、ひとつずつ「仕方ない」を疑った夜がある。

数字を自慢したいわけじゃない。むしろ、二度落ちて二度這い上がった、その不格好な足跡のほうを見てほしい。きれいな成功譚じゃない。転んで、泥をすすって、また立った話だ。その途中で見つけたものを、これから君に渡していく。

06気になった扉から、開けていい

この十話は、頭から順番に読まなくていい。一話ずつ、それだけで完結するように書いた。地図を眺めて、気になった年があれば、そこから開けていい。

「うつで休職」が気になるなら、そこから。「借金六百万」が気になるなら、そこから。どこから入っても、ちゃんと話は閉じる。

地図に並んだ年代の一つひとつが、君のための入口だ。順番より、君が今いちばん気になる扉のほうが正しい。

もし君が今、布団から出るのがつらい朝の中にいるなら

その重さを「仕方ない」の一言で畳んで、引き出しの奥にしまっていないか、ちょっとだけ確かめてほしい。それは、たぶん事実じゃない。君が君にかけた、解けるはずの呪いだ。僕も、ずっとその呪いの中にいた人間だ。だから、上から教えるつもりはない。となりで、一緒に一つずつほどいていきたい。

その一話目が、君にとってどの扉になるかは、君が決めればいい。気になった扉から、どうぞ入っておいで。ここから、一緒に、その「仕方ない」を溶かしていこう。